神様がもしもいなくても 今 大切なものが何か見えてさえいれば きっと できるはず。かなうはず。

肝心なのは自分。そう自分なのです。答えは わかっているんだ。君も。私も。BURN。これが心のキーワード。

8月14日(火)人生ROCKだぜ!

48時間前のこと。私は、クラス会に呼ばれて大船渡市のとある飲み屋に顔を出してきた。幹事によると、卒業してから実に14年の月日が流れていた。このクラスは、大船渡農業に在籍していたとき、一年生から三年間担任をしたクラスである。教員歴も年目のコダシーにとって第二期生となる連中だ。このクラス会も、実のところ、俺からの熱いLOVEコールによって実現したものだ。それには深い理由があった。卒業式に近い頃、俺の発案でタイムカプセルを作った。むしろ作らせたといったほうがいい。「なんでもいいから、1つ」たぶん当時そんなことを言ったんだと思う。それを俺は、「10年後に開けよう」と皆に伝え、子供達は卒業をしていったのだ。私は、思い出の学び舎の一角の土中に埋めたりすることを避け、自宅の押し入れの隅にひっそりと封印することにした。みんな、ず~っと忘れていたんだと思う。が、あるときふと、それに気がついた。毎年年賀状をくれるN君に「クラス会をやろうぜ」と書いた。そしたら、N君は、幹事となってR君、Mちゃん、Aちゃんに声をかけ、率先して企画を進めてくれた。本当に感謝している。で、ついに、その日は実現した。15人が集まってくれた。最高に嬉しかったし、楽しかった。会場の部屋に入ったとき、14も歳をとったから、いろんな変化があっていいはずだが、九割は見た瞬間にそれぞれの名前がはっきりと分かった。乾杯後のいろんな話をした。そして、タイムカプセルは開けられた。鍵をH君に渡していたらしいが、俺は忘れていたし、すでに鍵は開いていた。きっと、心配で14年前に鍵がなくなることを想定して、開けていたのだろう。でもHくんは、鍵を開けなければならない使命を覚えていた。大したものだ。さすが軍人である。思い出の品々。俺が無意味に詰めこんだ写真の数々。大いに盛り上がったし、その写真達は、15人の思い出となり旅立っていった。満足である。14年前に、この日を私は思い描いていた。高校三年生の時に決めた仕事先で今も勤務していたのは感動だった。その他、主夫、主婦、パート、保育師、漫画家、看護師、介護士、ゲーマー、販売員で頑張っている話もきいた。みんなそれぞれの生活を送ってんだなって思った。何よりも輝いて見えた。親じゃないんだけど、親の気分になり、とっても、嬉しくなった。もっと俺も、頑張んなきゃって思ったし、その他もいろんな気持ちもすげえたくさんもらった。その中には「今の俺がいるのは、先生のおかげだ」「ナルシストはやめてくださいと言って、すみませんでした」って、言ってくれたり、花束くれたりね。泣けるよね。ほんと、良いことも悪いこともあったクラスだったが、今でも、こうして思い出が簡単に蘇る。教師冥利に尽きるってこのことだ。教師になって、これ以上の幸せはない瞬間だったよ。バラの花が、数本入っていた。花束のコンセプトはロックだってさ。そういや大声で叫んで言ったな「人生ROCKだぜ」って。こんな普通にバラの花をもらうのは、YOSHIKIX-JAPAN)か俺ぐらいだなって思ったよ。笑。一番遠い人は、八戸から、大船渡、日頃市、立根、赤崎から本当にありがとう。

数時間じゃ足りなかったな。また、こうやって酒をのみながら、ああでもないこうでもないって話しまくれる日がくることを楽しみにしているよ。そうだ神様にお願いしておこう。武富士のビデオがみつかりますように。次は、みんなでこのビデオをみたいね。そして、今日会えなかった奴らにも、生きているうちに、会えますように。

 

そして、タイムカプセルの品々が、クラスメイト全員に戻っていきますように。

 

「人生ROCKだぜ」

 

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8月5日(日)初企画 SOME RISE DAY 御礼

ライブの企画者挨拶で私は、この企画は「大成功!」とお客さんに語りかけた。最高で最幸であった。ほんとうにありがとう。ありがとう。ありがとう。と、何回言ってもいい足りない企画であった。この企画ライブをいつか超えようと、心から思う。これも、会場の雰囲気と流れのなかで、決まったことだが、「Some Rise Day」の2回目を開催することになった。予約特典のメモリアルチケットのタイトルは、STAR WARS のロゴを使った。この2回目決まったとき、このロゴがふと頭の中に浮かんだ。「STAR WARSのタイトルだったら2回目は、エピソード2と呼ぶしかないな」って。このメンバーでまた、バトルする未来も、漠然とであるが決まったのだ。企画者コダシー。またいつか再起動をするのである。

予告の予告 KodaSeaPresentsSome Rise Day LIVEepisode2~」

20XX年 XX月 XX日(X曜日)開催

話は変わり、この企画は、1年ほど前、コダシーのソロ活動が始まった。まっと企画のライブを見に行ったとき、まっとに近況を話した。そしたら、まっとがその場で「来年対バンしま~す」って言っちゃったのが、コトノ始まりである。そんなことあり、2月下旬に準備を始めた。

まずは、出演者を集める。最初のイメージは、コダシー VS まっと で、オープニングアクトにオイカワトモアキ氏だった。でいろいろ考え悩んでいるうちに、この企画はおこがましいと思った。そこで、やり方を変えることにした。オイカワトモアキ VS まっと そして、オープニングアクト コダシー にすることにした。でも、なんかしっくりこなかった。もう一人出演してくれた方がおもしろそうだなって思った。で、オイカワトモアキ氏に相談した。答えは、「自分が本当にやりたいことをやるのが企画だと思うので、これを自身がやりたいのだ!という形がよいのではないかと思います。」だった。吹っ切れた。ようし、出演者は奴だ。直感でヤナギサケビ氏が頭に浮かんだ。次はブッキング。それぞれ、連絡をとった。一番の年上だったことも、あるだろう。長い友人関係もあるだろう。出演者を聞いて、悩んだ人もいるだろう。そんなこんなで、待つこと1週間、みんな予定を調整してくれた。かくして、最強のメンバーはそろったのだった。

 メンバーがそろい、どんなライブにしようかイメージを作った。僕はどうしてもやりたいことがあった。それは、セッションである。出演者と一緒に演奏がしたかった。私は、SOLO活動より、サイドギターを弾いているスタイルが好きだ。この出演者と音楽を奏でることは、バンドのメンバーでない限りそうそうできることではない。そこで、出演者のみなさんに語りかけた。「セッションしますので、断らないでください」と。みんな、一瞬迷っただろうが、誰もそれを拒否する出演者はいなかった。私は、とても幸せだった。ライブタイトルも決めた。頭の中で、この3人は、私の中の侍 であった。「侍 サムライ」を使おうと思った。でも、いろんな解釈や意味にしたくて、英語にしようと思った。それも、2つのワードを使おうと考えた。そうすれば、1つの意味ではなく、お客さんそれぞれが、好きな解釈ができるなか?って思った。「サムライ samurai  some rise」だから。Some Rise で コダシー企画はサムライって呼ぶつもり。そんな1日にしたいって気持ちを付け加えて、Dayをつけようと。それできまった。「Some Rise Day LIVE(サムライデイライブ)ト、ゼヒヨンデホシイ。

そのほかも、特典(メモリアルチケット)をつけようと考えた。金額も高額にならないようにしたかった。あれもあると嬉しいかもな。そうだ、これも準備しておこう。と、結構私はその過程を楽しんだ。

そんなこんなで、ライブ当日を迎えることができた。

スタートした。オープニングアクトは、コダシーである。この企画のセッション曲をアレンジしていくなかで、コダシーのNEW SONG は産まれた。それを、1曲目にやることは私の中でとても意味があった。むしろふさわしいとさえ思った。自分の曲紹介は忘れてしまい、気持ちを込めて歌った。良かったかどうかは、分からない。でも、歌い終わったとき、なんか「ほっとして、涙があふれてきた」お客さんのいる景色がとても素敵すぎた。

 

ライブを企画できたことに、感謝。出演者に感謝。来てくれたお客様に感謝。MIUMIU、関係者に感謝。私は、この日、ミュージシャンとして企画者として世界1幸せだった。

 

岩手の音楽を愛するすごいゲストもお忍びで来てくれていた。この3人と深い関係であることは、この打ち上げでよく分かった。音楽で繋がっているんだねって、思った瞬間だった。

帰りの車の中には、酔っ払ったオイカワトモアキ氏が同乗していた。

彼は言った。

「こんなすごいLIVEが SOLD OUT じゃないのがね・・・・・・」

 

 

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卒業ライブ2018の真実

今の職場に異動してきたとき、すでに卒業ライブというものは、根付いていたんだ。

その年の音楽が大好きな3年生が始めたことを、創設者の顔を知らなくても、

後輩がそれを繋いでいった結果、卒業ライブ2018になったんだね。

これだけでも、普通に考えるとすごい事だって思ったよ。

実際これが5年の月日も継続されていることに、感動を覚えたんだ。

でもね。そんな思いも、今年をもって消えようとしてるのに不安を感じてたんだよね。

文化祭って、どこの学校にも普通にあるとおもうんだけど、昨年度、文化祭が中止だったのね。

1年ぐらい平気だろうと思っていたんだけど、やっぱり、続けていくってことがどれほど重要なのか

僕は思い知ったんだよ。中止の時に、もしも、ステージを見る機会があったら、

きっと、ステージに上りたいって思った奴らがたくさんいただろなってこと。

中止だったから、ステージに上がりたいって思ってくれなかったってこと。

だから、また、リセットして、文化祭での活動をしっかりと続けていくことが大切だって感じたんだよね。

 

いつ頃だろうか?音楽仲間の まっと と、話をしたんだよね。

そんなとき、この卒業ライブの話をしたんだと思う。

別な企画も進行してて、卒業ライブをどうするか、同様に悩んだよ。

彼は行ったよ。卒業ライブに出たいって。

それからは、早かった。私の使命は、奏でる場所を必ず作るってこと。

企画者の ちぇる に、話してみたら、出演OKをくれて土台は完成したんだ。

この際だから、高校生が自ら作ることに意味があるのに、手を貸そうと思ったんだよね。

消えゆくかもしれないって、思ったし、来年度誰がやっても、できるようにしておこう

と考えた結果なんだけど。ちぇるに指示を出して、動かせて、ってのをやり続けた。

ちぇるは、すっごい大変だったろうな。でもやってのけたよ。すげえよ。

そして、ライブは実施された。

 

そして、今年の成果は、すげえのが残せたなって。

来年の卒業ライブは、専修大学北上福祉教育専門学校の企画に混ざって、継続されることになったんだよ。

もちろん、今までの歴史を踏襲ながら、新しい事ができることが決まったんだよね。

もう僕は満足だ。

 

なぜ、専修大学北上福祉専門学校福祉教育専門学校と合同企画になったのか?

それは、 俺とまっとが出会ったこと。

そして、 まっと が専修大学の卒業生だったこと。

そして、 卒業ライブが継続されいたこと。

そして、 卒業ライブに出てもいいよとなったこと。

そして、 俺と 専門学校の先生を繋いでくれたこと。

それが、 今日のこの報告につながったってこと。

 

こういうことがあるから、人生っておもしろいんだね。

 

卒業生のみんなおめでとう。

OB・OGも参加してくれてどうもありがとう。

ちばこうき・まっと・igaracity 本当にありがとう。

というわけで、素敵な卒業ライブになったことをここに書いておこうと思う。

 

 

 

 

 

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